2008 |
09,09 |
«9月7日(日)»
ドーム状の天井は、すりガラスのような半透明で、格子の骨組みが見えている。やわらかい光が降りそそいでいる。海外の駅のようだ。
二時間程度で着くような近場なのに、遠くまで来たような気がするのはそのせいか。
チェックインしてすぐ、エステサロンへ行った。
オイルマッサージにヘッドマッサージをプラス。
前にもやってもらったことがある、色白のきれいなひとが担当してくれた。
首と肩が異常なほどごりごりしていた。頭皮も、首肩の影響でかたくなっている、とのこと。
でも全身オイルまみれになってほかほかした。
赤いハーブティをいただいてから、部屋に戻る。16時になっていた。
そのまま部屋で夕食まで休んだ。体じゅう、しっとり。
窓の外に時折鳥のとぶ姿がみえる。鳴く声もよくきこえる。
大きなトンボも飛んでいた。
ヘンリー・ダーガーの画集の後半の、マグレガー博士(精神医学の知識がある美術史家らしい)の詳細な解説を読んだ。
面白い!!
文章もいい。
知りたかったことがかなり書いてあった。
うーむとかふーむとか声が出てしまうような興味深い所に付箋貼っていったら十数か所にのぼった。
この本はやはり買おう。
私は彼の生い立ちや教育を受けていないとか死後膨大なその創造物が偶然発見されたことなどには特に興味はない。ただ、彼の作ったものが何であるか、知りたいだけ。
「私たちはここで、ダーガーが天才であったのに抑圧された可能性を、潜在的には知性の面でも創造性の面でも巨人だった可能性を考慮してみるべきである。それなのに、環境、家族、養育や教育、口を糊する手段、自らのアイデンティティに対する感覚といった全てが、成長や発達の可能性を阻むように働いたとしたら、この天才に何が起きるだろう。結果、感覚、情緒、知性、あらゆる面に大穴があいてしまうことは避けられまい。
私が申し上げたいのは、できれば滅多にないことを願うそうした状況においても、現に破壊されないし、また破壊されえないのが天才の天才たる所以であるということだ。しかしながら、奇妙な方向へ捻じ曲げられはする。」
その捻じ曲げられ方に、興味があるのだった。過酷だった子供時代とその後の人生にもかかわらず、その作品もかなり奇妙でひどく残酷でサディスティックな面もあるにもかかわらず、なぜあのようにかわいくてきれいなのか。
もっとおどろおどろしく目を背けたくなるようなものであってもおかしくないのに。
特に気になるのは、ヴィヴィアンガールズのような戦闘少女的なものを男性がつくる場合に、必ずといっていいほど付随しているはずのものが、全然感じられないこと。
いや、過激にそれが表現されているといえばいえるのであるが、でも何かがこれまで見たことのあるものと全然違う。
彼に何が欠落しているのか、あるいは過剰に存在しているのか。
夕食前、突然どしゃぶり。ガラス張りの窓に面した席で食事をとりながら、フラッシュのようにときおりはしる閃光を見ていた。
夜、ジュゴンと電話。常より離れているジュゴンの声は、明るかった。